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つまずく石を踏み台に
そのドラマは何の前触れもなく、暗転の中で突然始まりました…
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平成7年1月17日未明、猛烈に突き上げてくる大きな塊に身体と家具を翻弄されながら、なんとか家族の手を握りしめ住吉の自宅を飛び出します。幸い無事だった六甲の両親宅にたどりつき、ずたずたになった山手幹線を一人西へ。目に映る見慣れた通勤路は別の景色で過ぎ去っていき、二人連れで兵庫区に入った頃から、不気味な予感と赤黒い煙が行く手をさえぎりだしました。 |
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大阪の醤油醸造蔵元の次男として生まれた初代・道満清は、当時のハイカラ輸入調味料「ウスターソース」の虜となり、油製造を敢えて断念し、輸入拠点の神戸で大正12年3月1日、「道満調味料研究所」を開設しました。その後、英国ウスター市老舗の商標「OLIVER」を入手して生産を開始し、日本独特の甘みと粘性を加えた世界初の濃厚ブラウンソース
「とんかつソース」を誕生させました。 |

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1月19日、丸二日に及ぶ懸命の「水のない消火活動」を経て、あたりはようやく沈静化しはじめました。オリバーソース株式会社は本社・工場のうち、事務棟を含む3棟を全焼、残ったソース製造設備はことごとく倒壊という、壊滅的な被害を被っていました。 |

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一瞬、不安が心の底でよぎりました。被災の中心地とあってライフライン復旧が大幅に遅れ、営業本部を急遽、東京・大阪と西脇に分散し、全力で生産設備の修復とビル解体作業に当り、設備の早期復旧に勤めました。しかし、事実上の業務再開は、4月のプレハブ本社事務所の完成を待つことになります。 |
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皮肉にも被災直前期の売上実績が過去最高であった事に加え、財務帳票とホストコンピュータ焼失による混乱のため、経理事務復旧と売掛金回収は困難をきわめました。ところが大変ありがたいことに、商品ニーズが浸透していたおかげで、業務再開後の需要が途切れず、都市部では比較的順調に売上の回復が出来ました。ただし2〜5ケ月間も小売り店の棚から オリバーソースが消え、その間、確実に代替えの競合商品が並んだという現実は非常に重く、ついに定番復帰出来なかった量販店もあり、震災の物理的損失と共に事業に多大な影響を与えました。 |
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さらに、本社のある兵庫区松本通りが突如道路拡幅を伴う区画整理特別地域に指定されたため、これ以上この地での操業継続は、「区画整理事業を妨げ、今後の事業用地確保に支障を来す」と判断し、神戸市の震災復興計画に全面協力して、建ち上がったばかりの本社事務所と新倉庫、そして、ようやく復旧の完了した工場を明け渡し、市も推奨するポートアイランド二期への移転を決意したのです。 |
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先代社長の配慮で、スムーズにバトンを受け走り出したものの、「自然災害」という、やたら大きな石につまずいて思い切り転んでしまったわけですが、どろまみれになってふと振り返ると、この石がみごとに大きな踏み台に見えはじめました。 |