2005年1月17日「震災から10年を迎えて」

オリバーの資源に磨きをかけよう

オリバーソース株式会社
代表取締役社長 道 満 雅 彦

  当社は1923年(大正12年)3 月、神戸市兵庫区に「道満調味料研究所」と言う名称で祖父が創業しました。私で3代目になります。創業間もない頃に英国産輸入ウスターソース「Oliver」に着目、神戸外国人居留地等を中心に、輸入調味料の委託販売と研究を始め、日本初の「とんかつソース」を開発しました。
  そのため、昔は欧風のしゃれたラベルをそのまま用いており、今のかたちになったのは、焼そばソース・お好み焼ソースを作り始めてからです。

  私が社長になって4年目の1995年1月、阪神・淡路大震災にて、本社屋・工場棟とも焼失等により、設備すべて取り壊すことになりました。したがって 2 年半後の1997年7 月、移転先の港島新工場が完成したときが、まさにゼロからの出発と言えるかもしれません。
  もともと楽天的な性格の私ですが、この頃から「ものごとをいいように考える」ことに磨きがかかりました。どんな不幸にも何処かに必ず「いいように考える」道はあります。暗示を自分にかけているようなものかもしれませんが、逆にいうと「これ以上ひどいことはないぞ」と開き直った時に光明が見えてくると言うことかもしれません。
  経済的には憔悴と落胆を繰り返す移転でしたが、不思議なもので近代的衛生設備に裏打ちされた新工場完成後は、流通チャネルも総菜分野への進出など「中食業界」への道が拓け、今では外食業務用と並ぶ主力営業分野に育ってきました。
  私は、震災後、従業員に対しても「不幸を不幸と感じない強い精神力をやしない、すべて前向きに考えよう」ということを毎日言い続けました。その結果、近頃では従業員も洗脳されたかのように、明るくなり本当に前向きに考えてくれるようになって来たように思います。
  しかし、97年の移転を終え復旧完了後の量販店への商品納入再開にはかなり苦しみました。量販店では短期間でも一度「欠品」をすると、商品を取扱って戴けません。ましてや、ほぼ2年半実質的に欠品状態が続いた当社の商品名は、POSシステムの売れ筋情報から消えてしまっており、競合メーカーのお好み焼きソースがブームとなり、市場を寡占してしまいました。ただそのおかげで、一旦途切れかけて消えそうになった家庭でのお好み焼きブームは、今も続いているので、ピンチヒッターがいたことは一概には悪材料とは言えないかもしれません。震災直後は大混乱のなか丁々発止で飛び回り多忙を極めましたが、その年の5月に開催された淡路洲本のサントピアマリーナ主催のヨットレース・オレンジカップには、毎年恒例で挑戦し続けていたこともあり、逆境をおして敢えて出場し、大型艇部門で初めて優勝したことは、今も不思議で、格別の思い出となっています。
 
 私はヨットが大好きで、今も月2回程度、家内の了解を得て土曜日の夜からマリーナで船中泊を続けています。心地よい波に揺られて眠り、デッキから差し込む朝日で目覚めると、疲れも吹っ飛び、風任せに船をすべらせると心もなごみます。当時もこうした息抜きは、私を癒してくれました。

  本社工場も97年7月には満を持してポートアイランドU期に進出、どうせならと、業界屈指のHACCP(Hazard Analysis Clitical Control Point)衛生設備とISO9001取得によるシステム化、省力化を兼ね備えた近代設備を導入し一挙に最先端調味料工場に生まれ変わりました。おかげで旧本社屋・工場の被害額約9億円に加え、新規購入の土地・建物、工場、設備等30億円を超える投資となり、今だから言えますが、正直自分でも不安がよぎりました。旧本社の土地1100坪はほとんど道満家の個人所有地でしたが、これを神戸市に収用していただき、一部を当社の資本に組み入れ、残り全額を当社への貸付金とし、その後、一部を債権放棄してもらうといううっちゃりも行いました。
  ポートアイランドに進出した頃は、まだ医療産業都市構想も想定されていませんでしたので、ちょうど中心部の西隣ゾーン東南の良好な角地に新社屋は位置しています。

  今量販店等で販売されている一般的なウスターソース類は、大手企業との価格競争が激しいことから、当社では、市場哲学に逆行する「マーケットインよりもプロダクトアウト」をかけ声に「どろソース、だしソース、クライマックスソース」等の高付加価値型長期熟成タイプの商品に営業の柱を置いています。そのユニークさが受けたのか、地元大手総菜メーカーで使用いただくソースや冷凍食品"そばめし"に代表される新たなメニューに用いるソースが好調で、明日の見えない低価格販売路線からの撤退を徐々に遂げつつあります。

  震災から10年を経て、社員犠牲者遺族はじめ、当時お世話になった方々に感謝の気持ちを込めて何かお届け出来たらとの考えから、震災の寸前に仕込み、この10年間商品として使用されることがなかった贈答専用の高級ソース「クライマックス」の母液を使い、少量限定生産の超長期熟成ソースを創るプロジェクトが立ち上がりました。ところが折角の母液をもっと有効に活かそうと、知人等からもアイディアを戴き、熟成したウスターソースとどろソース2本入りセットを震災の年に因んで、1995セット商品化し「オリバークライマックス10年仕込みソース」としてインターネットと通販のみで販売、その後これで得られた利益全額を震災遺児施設に寄付することになりました。申し込み期間を2ヶ月間と設定したのですが、各方面のメディアで紹介いただいたこともあり、2週間足らずですべて完売してしまいました。この商品はソースの味にうるさい父が、初めて私に"うまい!ようやった!"といってくれた商品です。

  当社の強みは、伝統の沈殿製法で、どろソースをはじめとするこの長期熟成分野のソース製造方法です。この分野はたとえ他社が参入しても、少なくとも当社が10年は先行しています。消費者の方々にアンケート調査すると、「味、価格、安全、安心、高付加価値」が商品選びの重要な要素になりますが、当社は価格競争では新工場建設の借り入れにともなう膨大な減価償却を抱えている現在は勝てません。どれだけ「期間と手間」をかけてどこで作ったかという、「ヴィンテージ・クォリティー・神戸」で勝負しようと思っております。そのため、当社は神戸という名に徹底的にこだわり、震災以降ラベル表記はすべて「神戸オリバーソース」としています。
  生まれ育った下町風情豊かな兵庫区松本通に郷愁は抱きますが、今は17m幅道路が貫く近代的な街並みに変貌し、当社の跡地がそのまま災害用地下貯水槽まで備えた「川池公園」として整備され、震災犠牲者慰霊碑「いのちの碑」、そして「とんかつソースが日本で最初に生まれた場所」という銘板に、ひとしおの感慨を覚えます。

  最後に震災の教訓として、感じていることがあります。普段の災害に対する備えはもちろん重要ですが、物を準備し続ける事には限りがあり、文字通り忘れた頃にやってくる災害に万全の緊急物資を蓄え更新し続けることは、得策では無いように思います。むしろ遭遇したときの指揮系統や人的ネットワークを取り決めて、それを常に更新しておくことこそが重要だと感じています。ことが起こってからどうスムーズに対処出来るシステムを更新し続ける忍耐力が必要だと言うことです。

  これからも引き続き、当社は神戸のオリバーとして「マーケット・イン(消費者嗜好を重視する)よりもプロダクト・アウト(消費者の新たな嗜好を喚起する優れた商品を供給する)」をかけ声に、皆様から"すごい"といわれる食品づくりに徹していきたいと思います。